日本酒ってなあに?その3 日本ってなあに
日本酒ってなあに?その3
はじめにおさらい
日本酒ってなあに?その1では、日本酒の定義を確認しました。
1の税法上の日本酒は酒税法を見れば良いので、2を掘り下げようということで、日本酒ってなあに?その2では、日本民族とは何かを確認しました。
日本酒ってなあに?1と2を合わせると
こういう事になりましたね。
日本という言葉がいっぱい出てくるので今回は日本について考えましょう。
日本はいつから日本?
日本という言葉を使う時、「日本という土地」と「日本国」とを指す場合の2パターンありますね。
それぞれが始まったタイミングは以下の通り。
1,日本列島
約38000年前、ホモサピエンスが日本列島に定住してから日本という土地ができました。
2,日本国
日本国がいつから存在するのかは諸説あるそうです。
1の初代天皇である神武天皇の存在は古事記で神話になっているので、あやふやな情報です。
2の飛鳥時代の時には日本という言葉の表記が見られたようです。大化の改新の孝徳天皇、天智天皇やその後の天武天皇あたりの時代ですね。
1も2も現代の天皇陛下のルーツなので、どちらも正しいと言えばそうですね。ちなみに旗日の建国記念の日は神武天皇の紀元前660年2月11日が採用されています。
しかしながらホモ・サピエンスが日本列島に到着してから日本国となるまでに3万7500年かかっています。途方も無い時間ですね。
日本の歴史の流れとしては以下のような感じ。
旧石器時代
約3万8000年前にホモサピエンスが現在の日本列島になる場所にたどり着く。
縄文時代
土器、集落が各地にできて定住するようになる。このころには植物の栽培、焼畑農業、陸の米である「陸稲(おかぼ)」の栽培もやっていたらしい。縄文後期には国として成立する十分な組織力があったらしい。
弥生時代
3000年前には大陸から渡来人が頻繁に来日。渡来人が稲の水耕栽培、織物や製鉄、酒造り、漁業、林業、鉱業などの大陸技術をもってくる。このころから縄文人は渡来人と混血し、群れが大規模化して豪族化していく。
古墳時代
王の墓、古墳が作られるようになる。
日本原住民(縄文人)、渡来人、朝鮮人の豪族が入り混じって仲良くなったり戦争したりの状態。その内容は古事記で神話化されてしまい、史実は不明。
敗者に口なし。歴史は勝者によって描かれる。
敗者となった出雲にはなにやら言いたいことがあるらしいが真相は闇の中。
飛鳥時代
日本国と日本人の記載が見られるようになる。
戦いの末に神武天皇の子孫であり現在の天皇家の元となる一族が勝利?
飛鳥に宮都を置く。日本国と日本民族は飛鳥時代に定められました。
日本民族固有の酒である酒が日本酒であるならば、日本酒は飛鳥時代には誕生したと言えるかもしれません。
まとめ
日本はいつから日本?
この3パターンのいずれかが日本のはじまりでしょう。
日本を土地として見るなら1
日本を国として見るなら2。ただし根拠は神話。
確実な根拠がほしいなら3といったところでしょうか。
おまけ1 お酒の原料
旧石器・縄文時代の酒
上記の通り、ホモサピエンスは約3万8000年前に日本の地に到達したと言われています。
それから日本に稲作(稲の水耕栽培)が伝わるまでの間の3万5000年、古代の人は何を食べて何で酒を造っていたのでしょうか。
食べ物がわかれば酒がわかる。見ていきましょう。
よく知られているように、旧石器・縄文期の食料ベースは狩猟採集ですね。
狩猟採集をベースに縄文中後期にはトチ、クリなどの意図的な照葉樹の栽培がはじまり、焼畑によるイモ類、穀物(雑穀類)の栽培が始まっていたと考えられています。
日本では6000年前のイネのプラントオパールが発見されていることから、この穀物の中には稲も入っていたと考えられます。
ホモサピエンスは糖分があれば酒を作り出せることを旧石器時代から知っていました。
その代表が蜂蜜から造るられるミードと野生果物の猿酒ですね。
これらは1万年前にはすでにつくられていたと考えられており、石器で木をくり抜いて器にすることを覚えた頃には間違いなく酒は存在しています。
酒はそこに水を貯める器があるかどうかで決まります。
器に糖分と水を入れて放おっておけば勝手に酒になりますからね。
穀物(デンプン)も唾液で糖化できるし、穀物を水に浸せばカビが生えて麹になるので、米がなくても穀物があればどんなに昔でも酒は造れますし、酒税法がないので果物とはちみつと穀物を酒にしてもいいわけです。果物とはちみつを酵母源として、そこに穀物を入れれば発酵します。穀物が糖を供給する必要はありません。
◎弥生時代の酒の原料
弥生時代以降の酒の原料の代表は言うまでもなく米ですね。
大陸からの渡来人によりイネの水耕栽培が伝わり、米の生産量が飛躍的に上がります。もちろんイモや他の穀物も並行してつくっています。
この時代には米を使った麹、酒母、鉄の農機具、織物などなど、ありとあらゆる道具と技術が渡来人によって持ち込まれます。
今までの狩猟採集と焼畑栽培分の食料に加え、イネの水耕栽培で保存可能な食料が格段に増えたことで人口が増加。それに伴う道具や新技術の効果で人と物の流れが一気に加速します。
渡来人との混和も進み、村が社会化して豪族が誕生していき、大きな争いも生まれるようになりました。もちろん山でひっそりしている人もいたでしょう。ちゃんと棲み分けをしていたようです。土地の境界線や所有権も売買も明確ではないですからね。
渡来人が頻繁に日本に来るようになった約3000年~2500年前、中国はバリバリの戦国時代で覇権争いが続いている状況です。
発展途上国に技術介入して利権を得る現代の先進国と同じように、日本は大陸系の勢力に狙われている状況になっていたのでしょうか。
縄文後期から弥生時代の日本は、大陸からの技術介入で狩猟採集民から農耕民族への転換期を促されている状況だったんですね。
その過程で人が増えて国ができて、争いによる吸収合併を繰り返し、縄文人と渡来人の混血が進んでいき、現在の日本人のベースが出来たことが想像できます。
稲作や融和を拒否した集団は、サンカ、マタギといった山の人になったり、北海道や島々に移動したも言われています。
縄文系民族はヒエで酒を作るので、ヒエの酒を造る民族を線で結ぶと縄文人の足跡をたどれる可能性があります。
こういった山の人は近代の戦争の徴兵制であぶり出されるまで、かなりの数が残っていたみたいですね。
米は様々な理由で重要視されて他の作物よりも増えていきます。収集や焼畑で採取される穀物よりも、水耕栽培で収量が安定している米が酒の原料とされたことは容易に想像できますね。民の管理の面でも米は非常に優秀です。
まとめ
まとめてみると、水耕栽培で米を作り出してからが日本国という解釈でも良さそうですね。
日本は国でも土地でもなく私たちである。そう考えると、日本の地で米を作って群れるようになってからが日本である。が正しいでしょうね。
私たちの心情的にはこれが正解ではないでしょうか。
土や水には先祖と神が宿ってますからね。
ということで、日本酒の定義が完成しました。
いかがだったでしょうか。
これは私の答えなので、あなたの答えはまた別にあるのかもしれません。ぜひあなたの日本酒の定義を考えてみて下さい。
次回は、米と日本民族の関わりがどうやって文化となったのかを見ていきましょう。
2021.6.24 小島達也
おまけ2
今回の内容と同じような話で、日本酒発祥の地はどこ?という議論がありますね。
現在、日本酒発祥の地として3ヶ所が名乗りを上げています。
1,島根県出雲
酒造りが伝わった最初の土地だから。古事記に書いてあるから。
2,奈良県飛鳥
日本国が奈良で始まったから。
3,兵庫県伊丹
今の清酒のような透明な酒の製造技術は兵庫県伊丹の発祥だから。
どれも正解。
日本酒の定義によって正解が変わります。
日本の土地で最初に造られた米の酒が日本酒→出雲
日本国で造られた酒が日本酒→奈良
透明な清酒が日本酒→伊丹
個人的には
日本酒の起源は中国で、最初に伝わったのは出雲、日本酒の名前がついたのは日本国の出来た奈良県で、日本酒製造が洗練されたのは伊丹です。
さらに日本の地に日本酒の原型を伝えたのは中国大陸にいた秦族、その秦族のルーツはイスラエル、さらに前はエジプトなど、どこまででもさかのぼれます。
日本酒の定義によって発祥の地も変わる。
日本国がなくなったら日本酒はなくなるのでしょうか。
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