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日本酒ってなあに?6 イトナミを見る

日本酒ってなあに?最終回



今までの日本酒ってなあに?1~5で、日本酒とは何かを探り、答えを見つけました。

日本酒の定義
1.税法上の酒としての日本酒(米、米こうじ、水を原料として発酵させて濾したもの)
2.日本酒とは、日本人を祖先にもち、日本の伝統文化と風習を有する人たちの酒。
3.日本とはイネの水耕栽培が始まってからの日本国のことを指す。
4,日本の伝統文化とは、神様からもらったお米を酒にして、神様にお供えすること。

そのお酒を御神酒と呼び、飲むことで群れを成し、群れの力で未来を創造してきた。

いろいろな言い方、書き方があると思うので、自身が納得していればどんな言葉でも大丈夫ですよね。

自分の造る日本酒が、これらを満たしているならば、私は自信を持って人に勧める事ができるし、迷い無く酒を造ることが出来ます。

答えはそれぞれ。それで良いのです。

いとなみの発見


日本酒って理解するのが大変ですよね。歴史が長いし、ナショナリズムを刺激していろいろな人がいろいろなことを言います。自分に足りないものを日本酒という歴史で埋めようとしてしまいます。わたしもその1人です。そんなわたしの話をここまで読んだ人は心の優しい聖者か、日本酒を心から愛する人に違いありません。

わたしはせっかく日本酒の答えを見つけたのに、これを人に説明して理解してもらうには長い時間と労力が必要なことを知り、絶望しました。

もうコンビニチキンでストロングチューハイ飲んで、B級映画を見ながらカップ麺食って、乃木坂みて、脳を使わず、そのまま酔いつぶれて気絶して永遠の眠りにつきたいと思いました。

そんな悩みを抱えて生きていたある日、船釣りに誘われ、ぼーっと船上で釣りをしていました。

目の前の海水が水蒸気となり、雲となり、雨が振り、山の生命が雨に溶け出し、川となり、海に流れ、プランクトンに食われ、プランクトンは小魚に食われ、小魚はフィッシュイーターに食われ、そのフィッシュイーターを俺は釣っている。

そんな事を考えながら、ハーフピッチジャークをしながら、出雲の山と海を見てまどろんでいる時。心が無になっている時、私は無意識に、ある言葉を発していました。

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ああ…いとなみだなあ…


いとなみ?

ああ…

そうか…

営みだったんだ。

日本酒とは営みだったんだ!!

人が過去も、今も、未来もずっと続いていくようにと願うその言葉は

営みだったんだ!!

日本酒とはなにか?このめんどくさい悩みは

たった4文字しかなかった

い・と・な・み

日本酒とは、日本人の営みを形にしたものだったんだ。

私は大きな発見をしてしまいました。

イトナミからこの世界を見た瞬間でした。

それはブッダで言う心身脱落、孔子の中庸、世阿弥の離見の見、アドラーのコモンセンス、岡潔の情緒、芭蕉の芭風、手塚治虫のコスモゾーン、悟空の身勝手の極意、ネテロ会長の百式観音の世界を垣間見た習慣でした。

それから私はアロハ~としか喋らないハワイアンのように、アホとしか言わない関西人のように、

「イトナミ」としか喋れない、イトナミ族になってしまいました。

そうして私は、笹しか興味のないパンダのように、野球にしか興味のない大谷くんのように、営みを形にした物事にしか興味がなくなってしまいました。

営みを形にしたもの、人が生きて死んで、子供が生まれて、それが永遠に続くように願われたその姿は現代でもたくさん残っている。

日本人の営みを酒にしたものが日本酒

踊りにしたものが能や相撲

詩にしたものが民謡、和歌、俳句

博物館や美術館に行くと、人と自然の営みを形にしたものが展示され、その営みの歴史を伝えていました。

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自分が両親の営みの形であることにも気付きました。

営みを表現したものが伝統となり、文化となり、過去の人々に想いを伝えていました。

営みという概念が、人を生かし、この世を回していたのです。

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そして同時に、私が今までこだわり続けてきた日本酒に関しても変化が起こり始めました。

営みさえ表現していれば、日本酒じゃなくても良くないか?米じゃなくても良くないか?

日本の営みを表現した農作物や原料で酒を造り、日本の営みを回すことができれば、米でなくても、日本酒じゃなくてもいい。

酒蔵は米と酒で地域の営みを回す所だったではないのか?

大事なことはイトナミという価値観だと。

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日本酒と言えなくても、日本の営みを表現していれば、それは日本の酒なんだと思うようになりました。

そうして私は、日本酒専門の杜氏から、日本の営みを表現する酒を作る、醸造家へ向かうことを心に決めました。

私の考えを酒という形にするため、板倉酒造ではリキュール免許、その他の醸造酒免許の取得しました。

頭ではなく、心で営みを理解し、体感したいのです。

今後は日本酒「天穏・無窮天穏」に加え、リキュール・その他の醸造酒部門「イトナミブルワリー」を開設し、日本の営みを表現していきます。

この事が良い事かどうかはわかりません。

新しい品目の製品を良いと思う人もいれば、日本酒だけに専念しろという人もいるでしょう。

私はいままで誰よりも過去と向き合って酒造りをしてきました。

齋香、無窮天穏、サーガ、KODANEと見ていてくださった方々には十分に伝わっていると信じています。

過去と現在をつなげる酒造りをしている私が予見する未来の酒は、日本の営みを表現する酒です。

私は、天穏とイトナミブルワリーであらゆる営みの形をつくりだし、過去と未来を守ります。

よろしくお願いいたします。

2021.6.30 小島達也

余談 


営みの味、アミノ酸


営み、イトナミ、いとなみって抽象的なことばっかり言って、具体的に何なんだと思われる方もいるでしょう。

営みとは永続に続いていく様をいいますね。

我々、ホモサピエンスが生き延びた理由は群れになれることでした。

私たちは群れにならなければ死んでしまうのです。

営みを感じるには群れが必要です。

群れとは何でしょう。

それは他者が存在しているということです。

人は、他者がいないと人間にはならない。

他人がいないと生きていけない。

生まれた時、親がいないと生きていけない。

生まれても、他人がいないと、名前を与えられないと、話しかけられないと、子供は死んでしまう。

虫も、草食動物の群れも、鳥の群れも、イワシの大群も、ヒトの細胞も単独では弱い存在です。

群れでいることで生きています。1人で生きられのはゴジラレベルの存在だけです。

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だから誰もが他人を欲し、自分の存在を認めてほしい、あなたと群れになりたいと思っています。

人間の幸福は、自分が所属する群れの中で重要な役割を果たしていることを感じられるかどうかだと言われています。

その心の隙間を埋めるものがアミノ酸です。

アミノ酸とはタンパク質が分解されたものです。

タンパク質とは有機物です。

有機物とは生命です。

生命は他人です。

アミノ酸は他者です。

私たちはアミノ酸と群れになれるかもしれません。

アミノ酸は生命の痕跡であり、他者の存在を証明する物質です。

私たちは味覚としてアミノ酸を感じると他人を察知し、群れの可能性を感じ、生存本能を満たされ、幸福感を得ているのかもしれません。

日本ではアミノ酸を旨味と表現し、出汁や発酵食品をその代表として捉えています。

昆布だしは昆布の生きた痕跡を水に溶け込ませたもの

かつお出汁はカツオの生きた痕跡を水に溶け込ませたもの

鶏ガラスープは鳥の生きた痕跡を水に溶け込ませたもの

味噌や醤油は大豆と麹菌の生きた痕跡を水に溶けこませたもの

日本酒は米と麹と酵母の生きた痕跡を水に溶け込ませたもの

そこに生命の痕跡を強く安全に感じれば感じるほど旨味を感じる(美味しい)のかもしれません。

寄せ鍋とかうまいですもんね。締めの雑炊とか営みまくってます。どれだけの他者が溶け込んでいるんでしょう。

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2022、12追記


誰もに共通するイトナミの具現化

ものづくりをする人の究極の形はこれに尽きるでしょう。

わたしは酒でイトナミを具現化する。だれかは料理で、陶芸で、音楽で、踊りで、詩で…。子供をつくり、育てることもイトナミをつくることと同じなんだろうな。

イトナミを人間の五感で入力できる形式で具現化し他者に与える。

他者は具現化されたものを五感で脳に入力し、脳内で入力情報から記憶を読み取り、自分の経験と情緒と縁起させて、新しいものづくりをする。

具現化が上手いほど、より相手に伝わり、大きな縁起を生み出します。
子供の可愛さは一瞬で相手と共有できますよね。

このイトナミを与え与えられる連鎖が人間社会をつくっています。このイトナミの具現化による縁起の連鎖を大規模に一斉に行う日が世界各地で行われています。

それは祭りです。

祭りはイトナミを具現化したものが一堂に会する発表会です。
集落の人間も、それ以外の土地の人も集まり、あらゆる手段でイトナミを共有する大イトナミサミットです。

祭りはイトナミが様々な形態で重なり合いながら多角的に五感入力される日です。その結果、人々の脳内で様々な縁起が発生して、芸能や文化風習が生まれ、さらには作物や子供まで造って、その土地のイトナミをさらに強固なものに形成していく。

祭りをすることは人間にとってとても重要なことなんですね。祭りを無くすことはイトナミを無くすことと同じことで、人の帰属意識を無くして孤独を生み出す原因となってしまいます。

イトナミを様々な形で表現する人と、それを発表する祭りをやってみたいですね。

わたしはなぜ人は酒をつくり、酒を飲むのかという疑問からイトナミを見つけ、さらにイトナミを与えること、与えられることが愛であることを知り、古代の人たちが意図的にイトナミを操り、儀礼化していたことなど、さらなるイトナミを知ることになります。

またこの先のコラムで出てきますので、よろしくお願いします。




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