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それでも日本酒にイエスという2 自己愛と哀しみ

自己愛と哀しみ


私たちは生きている。ただ生きているだけなぜ哀しい気持ちになるのだろう。

母親の体内にいたころ、私たちは孤独を感じることはなかったと思います。しかし私たちはこの世に生まれ、成長するにつれて、少しずつ孤独を知ってしまう。


自分と母親が別の人格であることを知ったとき。

父という明らかな他者が存在していることを知ったとき。

兄弟に母親を取られたとき。

両親との関係がうまくいかなかったとき。

他人との人間関係に悩んだとき。

ネットやSNSなどで誰ともわからない他者の存在に悩んだとき。

社会という環境にうまく適応できないとき。

ただただ生きているだけなのに孤独は姿を現します。


先人の思想家たちは、この孤独から生み出される哀しみを原罪や無明と呼び、私たちの悩みの元凶と言いました。

私たちの心の孤独はどんどんと成長していき、自分で自分を苦しめるようになっていく。

先人は自分から孤独の穴に入り込んでしまう現象を自己愛(ナルシシズム)と呼びました。

あなたは自分が苦悩するために苦しみをつくり出している。

あなたは自己愛によって自分で自分を苦しめているんだよと。

めちゃくちゃ思い当たるフシがある…。私は自己愛をこじらせて邁進した人間。

父とうまく行かなかった私は自己愛が強くなり、苦しみを糧に行動する人間になってしまった。

哀しみに浸り、酒に逃げ、それを正当化して邁進していたら、いつの間にか杜氏になっていた。

神経症的傾向がある人間が、ものづくりをすることで適正を発揮するということは大いにあるらしい。


ともあれ、そんな自己愛は自身の生存確率を上げるための自己防衛システムであるかもしれない。

もし、あなたにとって孤独が怖くないものであれば、仲間を作る意味がない。だからあなたはおのずと単独行動となり、他者との関わりが無くなって、生存と生殖の可能性が低くなる。

もしもあなたにとって孤独が怖ければ(自己愛があれば)、仲間を欲するだろう。出会った誰かと協力体制をとることで、自身の生存と生殖の可能性が高くなる。

このように自己愛は生命の存続に大きく関わっている重要な要素で、誰もが大なり小なり自己愛を持っている。

そして現代は環境が目まぐるしく変化するVUCA時代(将来を予測することが困難な状況)。他人と接する機会や情報が多く、人はその全てに反応してしまうため、この自己愛防衛システムが過剰に働いてしまう。現代人は自己愛の沼に落ちやすくなってしまいました。

本来の動植物や魚、虫の大群のように「個」という概念がなければ自己愛は必要なかったのに人間は知恵の実を食べて生命の「群れ」から抜け出して「個」となった。

だから人間は永遠の孤独という原罪を宿命付けられている。
昔の人は上手に言いますね…。

私たちの心の中にある孤独と哀しみは、目まぐるしく変わる社会や他者とうまく適応出来ない。でも、うまくやらないと自分が生存できないという自己愛がひとつの原因でした。

自己愛が孤独と哀しみを生んでいたのです。

日本酒のアミノ酸が他者を感じさせる

私は日本酒を飲むと孤独と哀しみが和らぐような気がします。

日本酒に含まれる何かが私の不安を抑えているのかもしれません。

その大きな要因はアミノ酸かもしれない。

アミノ酸はタンパク質。タンパク質は生き物。生き物は他者。


日本酒のアミノ酸は米、麹、酵母からもたらされる。

土は多くの生命の痕跡と記憶を残している。そこを通過する水も同じだ。

米は土と水を通じて土地の記憶を蓄積して保管している。

先祖を土に返していた昔の人たちはそう考えたのだろうか。

麹はその米の記憶を解読して米にその経緯を残してくれる。

酵母はその経緯を読み解き、酒という液体にして誰にでも伝わるようにドラマティックな演出をして残してくれているのではないだろうか。

私は日本酒を飲むことで、風土や大地、そこに生きていた者たちのイトナミを感じているのかもしれません。


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