それでも日本酒にイエスという3 与えられた愛
与えられた愛
自己愛がもたらす哀しみを和らげるものがあるらしい。
それは与えられた愛である。
誰かから与えられた愛が私たちの孤独を解消すると説く人がいます。
ヴィクトール・フランクル。
ユダヤ人の彼は、第一次世界大戦中に強制収容、ホロコーストを体験しました。
そこから奇跡的に生き延びたフランクル先生は、その収容所での壮絶な日々をもとにした体験記「夜と霧」という本を発表しました。
フランクル先生は常に身近に死が存在する収容所内において、人間が極限状態になったときにどのような行動をとるのかを分析しました。
その過酷な環境下でどのような人が生き残り、どのような人が死に向かっていくのか、壮絶な状況を間近で見届けました。
彼はこの本の中でこう言っています。
「私がどんな苦しみの中にあったとしても、いまこの瞬間、私の心はある人の面影に占められていた。精神がこれほど生き生きと彼女の面影を想像するとは、以前のごくまっとうな生活の中では思いもしなかった。私は妻と語っているような気がした。妻が答えるのが聞こえ、ほほ笑むのが見えた。眼差しで促し、励ますのが見えた。愛する妻のほほ笑みが、今や昇りつつある太陽よりも、私を大きく照らすのであった。」
フランクル先生は、飢餓と寒さと過酷な労働の中で、愛する妻の姿をはっきりと見たと言います。
愛する妻のほほ笑みが絶望から私を救ったと。
彼は、愛を与えられた記憶のある者が生き残った。自分で自分を苦しめる自己愛の強い者は耐えられなかったと語っています。愛する妻の微笑みを思い浮かべ、この収容所での壮絶な体験を自身が世界に発信する姿を想像し、心を保ち続けたと言います。
収容所から生き残り、その後、学者として活躍し、後世に多大な影響を与えるフランクル先生はこのように伝えています。
あなたがいかなる苦しみの中にあったとしても、愛を与えられた記憶は決して奪われない。あなたに与えられた愛は、あらゆる苦難(自己愛)よりも大きいものだ。
愛を持つあなたは、その苦しみに対して、自らの態度を示すことが出来る。自分が苦悩するために苦悩することは自己愛である。その穴に落ちてはいけない。誰かの苦しみのために苦悩することが苦しみである。
愛を与えられた人間は決して生きること放棄することは出来ない。
私はフランクル先生の言葉にとてつもない感動を覚えました。私の両親、祖父母、家族、妻から与えられた愛を思い出し、胸にとどめておけば、力が湧いてくることを思い出しました。
私の孤独や哀しみは、まさしく自分が苦悩するための自己愛でした。
愛を与えてくれた人たちのための苦しみではありませんでした。
まだ実際に起こっていない、起きるかどうかもわからない物事に不安を覚え、自己愛に反応しているだけでした。
愛を与えられた記憶が、自己愛を解消する。
酒造りで与えられた愛
日本酒には多くの生命が関わっている。
米をつくる人、酒をつくる人、提供する人。
米をつく田んぼは先祖が開墾したものだし、酒をつくる技術も先人が残したものだ。
土にも水にも何かしらの生命の痕跡がある。
これらが集約したもの、愛を蓄積させたものが日本酒なのかもしれない。
もしかしたら日本酒は、私たちに愛を与えているのかもしれない。
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