それでも日本酒にイエスという5 愛と冒険
愛と冒険
最初に与えられた愛、それは無償の愛、母性。
子供の頃に母性を与えられ、生きていてもいいんだよと母から実感を与えられた。
この時に生まれた性格が、その人の情緒と言われる純粋な性格。
そして成長するにつれ、父や他人や社会を知ることになる。
ここで本当の自分(自己情緒)と、他人がいる前提の自分(自我)が生まれます。
自我とは他者からこう見られたいと思ってつける仮面みたいなもの。
なぜ他者に対して仮面を付ける必要があるのか。
それは他者の愛は無償の愛ではなく、社会にとって秩序にとって必要かどうかで選択される愛だからです。
父親は自分の財産、力を継承させる子どもを選ぶ必要があります。社会は社会を成り立たせる人物を選ぶ必要がある。
誰でも無条件に受け入れることができないのが他者や社会の愛です。だから仮面を付けたり他者合わせるための勉強や試験が必要になる。
人の価値には、決して他人には左右されない存在としての自己価値と、常に価値が変動する他者から見た価値である社会的価値がある。
この2つを一緒にして考えてしまうと生き辛くなる。たとえ失敗を犯そうともあなたの存在価値は損なわれることないから、あなたはあなた自身の存在価値を否定して、自己愛に堕ちてはいけない。
失敗して社会的価値が落ちたとしても、いまいる社会から去ればいいだけだから大丈夫。あなたの自己価値は決して損なわれない。
母は子どもの自己価値を守り、父は子どもに社会的価値を教えようとする。そして子どもはいずれ、母の無償の愛から巣立ち、社会が自分を愛してくれる場所を見つけに行かなくてはなりません。
哲学者のラカンは言います。「子どもは自分の欲望を、社会が認めている記号にしなければ、現実に認めてもらうことが出来ないということを、何度も痛い経験をしながら学んでいく。」
そうして子どもはそれぞれの生きる場所を見つけ、今度は自分が子どもを育てて守り、生命の営みを続けます。
だから僕らは冒険に出なくてはいけません。お酒が飲めるくらいの皆さんなら、いまは冒険の途中です。
愛を与えるために、愛を与えられるために、営みを残すための冒険にでているのです。
冒険に出なければ自己愛という孤独の穴に堕ち、生命の営みから外れて愛を与えられなくなる。
母からもらった愛と情緒を心の支えに、最初は父に社会を教えてもらい、冒険の旅に出るのです。
・愛とは冒険の旅
冒険には喜びも哀しみも両方あるから勇気と信念が必要。
リスクがあるから冒険という。
自分の若い頃を思い返すと、よくもこんな日本酒造りという無謀な冒険に出たものだと呆れてしまいます。
損得勘定が出来ないバカで夢見がちな中二病だったんでしょうね。今も変わってない気もします。
酒造りする人はそのくらいで丁度いい。
日本酒はお助けアイテム
日本酒は、冒険に必要なお助けアイテムなのかも知れない。
冒険は楽しいこともあれば、哀しいこともある。
そんな時に日本酒があれば楽しく旅を続けられる。うまいし、温かいし。
モンスターボールを投げるように、日本酒を差し出せば、仲間を増やすことが出来るかもしれない。
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