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それでも日本酒にイエスという8 修行と愛

修行とは愛を与えられること


素直な愛を与えるためには、自身の心の情緒を具現化する技術を身につけることが重要らしい。


どうやって技術を身に着けよう。

技術とは大抵の場合、人から教わるものですね。



私は酒造りの修行を25歳からはじめて現在で12年がたち、だんだんと心の情緒を日本酒として表現できるようになってきました。


私の造ったお酒を飲んでくださる方々に対し、私は少しでも愛を与えることが出来ているでしょうか。


もし私が天穏を通じてあなたに愛を与えているならば、私も誰かから愛を与えられているのかもしれない。


そう思い考えていると、私は酒造りの修行をしている間ずっと、多くの愛を与えられ続けていたことに気づきました。


私は蔵の先輩から、歴史という先人から、土地から、米から、水から、微生物から愛を与えられていました。


いつのまにか酒造技術という愛を与えられ続けていたのです。


酒蔵という厳しい世界では去る人も多く、残る人は熱い思いを持つ人ばかり。

その人達も自己実現をするためにいずれどこかへ移動していく。

気づけば私の中に多くの人たちの技術と情緒が刻み込まれていた。



日本酒は数千年の歴史を持ち、数え切れない先人たちの愛と哀しみの上に成り立っている。

修行時代からいま現在にいたるまで、私の中には彼らの愛と哀しみが蓄積していきました。



修業をする者は素直に愛を受けること。そうすれば適切な技術と伝統を身につけることが出来る。


私は一緒にいてくれた蔵人と、純粋な姿を見せ続けてくれる微生物たちのおかげで、少しずつ自己実現が出来るようになりました。


そして少しずつ、先輩蔵人が言っていたこと、憧れの杜氏が言っていたことが理解できるようになってきました。

「酒造りで自分を出すな」

「自分を殺せ」

彼らは、愛を与えられるとき(修行中)には、素直になって、先人の技術を受け取れという意味で言っていたのではないだろうか。

岡潔先生は博愛という言葉でこのことを説明しています。

「博愛は人の根本である自我本能に逆らって行うものである。自分の感情を抑えなければ他人の感情はわからない。自分の意欲を抑えなければ他人の意欲はわからない。このように、自分の心を抑えてまずは他人の心を酌まなくてはならない。その後にこれに基づいて行動するのであるが、その時には必ず自己犠牲をともなうから、はじめから自我の抑制が必要なのである。」

修行時代よりも、その後に自分で実践するときのほうが自己犠牲が必要となる。

仕事とは事に仕えること。

事よりも自分を優先させてしまうと、愛は与えられず、愛を与えることもできなくなる。

だからそこで出来るものは自我を超えられない。

そうなるとあなたは自己情緒を伝えることはできなくなり、また孤独に襲われる。

自我の抑制なしに愛や情緒の美しさは表現することは出来ない。

古くから伝わる徒弟制度は事に仕える心構えを教えるために存在していたのだと理解しました。


愛を与えるために冒険すること自体が、愛を与えられることだった。

心の情緒をもとにした、素直な気持ちで冒険することが大切だったのだと気づくことができました。


先人に素直に従うことは一見すると遠回りだが、伝統産業においてはそれが近道であり、与えられる結果は揺るがないものになる。

先人はあなたが事に仕えられる精神力を持っているかどうかを見ている。

本質的な結果を与えられた者は、その過程が最短であり必要なことであったと自己肯定できる。


素直な気持ちではじめた冒険が、好きではじめたはずの冒険が、いつの間にか生きる手段になってしまった。その冒険は心の情緒を表現したものではなく、誰かにいいねと言ってもらうための冒険になっていた。特別だねと言ってほしいだけだった。お金を稼ぐことが目的の冒険になっていた。


それも仕方ないこと。それでもまた何かを見つけたら、もう一度、心の情緒を追い求める冒険をすればいい。自分じゃなくても代わりに旅立つ者を応援してもいい。サポートするのもいいだろう。それがあなたの与える愛かもしれない。


・素直な気持ちで冒険することが、愛を与えられる近道になる


孤独にしない酒



日本酒が好きだ。造ってみたい。

それだけで良かった。

同じ思いを持った人、麹や酵母の純粋な姿。

それがさらに私の想いを大きくした。


過去を知るほど私は未来が見えるようになった。

巨人の肩に乗っているように視界が開けた。

でも同時に足元は見えなくなっていった。

いまこの時を見れなれなくなった。


答えを見つけて人に見えない世界が見えるようになり孤独になった。

答えと時代は必ずしも一致しない。


人を孤独にさせない酒とはどんな酒だろう。


過去、現在、未来すべての生命の営みに通じる酒が、孤独にさせない酒なのだろうか。


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