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【イトナミコラム3】それでも日本酒にイエスという

【イトナミコラム3】それでも日本酒にイエスという

◎はじめに


孤独ですね。寂しいですね。


私は両親に育ててもらい、祖父母や兄妹がいて、いつの間にか友や仲間もできました。


挫折や苦労はあったものの夢をかなえて日本酒が造れるようになり、最近では妻や子供ができて、多くの幸せに囲まれていると思います。


しかし、なぜだか私の心の孤独が消えることはありません。

そんな私の心の空白を埋めてくれるもののひとつが日本酒です。


日本酒は風土や人、微生物など多くの生命の営みが宿り、歴史を感じさせてくれる。

また日本酒は最高峰の食中酒であり、料理として出会う様々な生物との出会いを感動的な体験にしてくれている。

日本酒や料理として表現される自然や風土が、私に何を伝えようとしているかを想像し、それを味覚として体感したり誰かとそれを共有していると、私の心の孤独と不安は薄れていきます。

私は酒造りをするために25歳で酒蔵に弟子入りし、酒造技術という過去を受け継ぎ、30歳で酒造りの責任者である杜氏(とうじ)となりました。

そこからさらに7年が経ち、気づけば酒造りで12年。

やりたいことが見えなかった学生時代や、酒造りを志してもなかなか蔵人になれずに酒屋で働いていた頃。

見えない不安に怯えていた頃から比べると、私は心の平穏を保てる期間が多くなったように思います。


2008年頃 蔵人2年目

杜氏として、日本酒の伝統や100年以上続く銘柄を守りながら、現代の思考に合わせた酒質を造ることなど、重圧は常に大きくあるものの、そのなかでの成果や出会った様々な人たちと酒を飲み交わすにつれ、私は少しずつ達成感や肯定感を得ることが出来るようになりました。

アルコールの弊害


日本酒を飲むことに関してはアルコールの作用が関係して気持ちを増幅している面があります。

アルコール摂取の弊害についても理解を深め、皆さまにお知らせしなくてはなりません。


厚生労働省 アルコール健康障害対策基本法【PDF】

WHO アルコールの有害な仕様を低減するための世界戦略【PDF】

ソバーキュリアス 飲まない選択


伝統的なアルコールと商業的なアルコール、どちらも飲みすぎた場合、同じように危険性がある。

だから一度考えてみたい。

お酒からアルコールを取り除いた時に何が残るのかを。

私は日本酒からアルコールを差し引いたとしても大きな魅力があると思っています。

その日本酒の魅力は、私や多くの人たちの孤独や寂しさを埋めるものであると私は感じています。

日本酒からアルコールを引くと愛が残るのではないか


日本酒ーアルコール=何が残るのか?

私はそこに残るものは、愛なのではないかと思うようになりました。


愛とは、誰かに与えたり伝えようとすること。


日本酒とは愛を水に溶かした液体であり、人に愛を与える液体である。

日本酒には、土地であり、先人であり、他の生物の愛が溶けている。


彼らはいつも私たちに愛を与えようとしているのではないか。

だから日本酒を飲むと、私の心の寂しさが消えていくのかもしれない。


このコラム「それでも酒にイエスという」では、日本酒が私たち人間に何を与えてくれているのか考えていきたいと思います。

→それでも日本酒にイエスという2 自己愛と哀しみ

2022.12追記

このコラムは父が亡くなった後に書いたものです。

父とまともに話すことができなかった私はおそらく自己愛性人格障害が入っており、なにか特別なことする人物でいなくてはならないと思う傾向があります。

父親に認められたいという欲求は男なら誰でもあると思うんです。父親的にも子供に立派になって自分の社会的地位を継いでほしいというところで、しょう。

そのせいでわたしは必死になって酒造りをして杜氏になれたので、いまなら悪い話でもないんですが日常生活で辛いこともよくあります。

自分の性格を大きく形成したであろう父がなくなったことと、子供ができたことで一度、整理したい気持ちがありました。

自分がどういう存在なのか、自分がどういうお酒を造りたいのか、そのことを日本酒と愛をテーマに考えてみました。

ちょうどその頃、イトナミの探究から数学者の岡潔、フランクル、フロムの本と出会い、これらを融合してます。このころから完全に独自路線になってますね。自分の情緒を知ろうとしてたのでしょう。




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